第3回「現代文は何が読めれば《わかった》と言えるのか」

 こんにちは。aiの現代文読解応援団です。今回は「現代文は何が読めれば《わかった》と言えるのか」についてお話しします。

 前回は、「評論」では「題材や筆者の視点がどう組み立てられているか」を意識して読み、インプットすることが大切だとお話ししました。結論から言うと、これが見つけられてインプットできたら「本文がわかった」=「読解できた」ということなのです。

 「読解」は「読んで理解する」という意味の熟語ですが、入試現代文における「読む」とは、「文字が読める」ということではありません。「その文字を用いて組み立ててある筆者の考えを他と区別して探し出すように読む」ことです。

 例えば、大きなかごの中に何色かのボールが100個入っている様子を思い浮かべてください。このボールの中に「正解を導くために見つけ出しておくべきボールが10個」があるとしましょう。あなは一人で制限時間内にこれを探さなければなりません。どうしますか?

 でもその前に、「見つけるべきボール」が何色かわかっていないとだめですよね。つまり、文章に使われる文字の色には役割があり、その役割を知ってれば「筆者の考えを示す役割の色」を探し出すことができるでしょう。ですから現代文の学習では、まず「色の役割」を知ることが必要なんです。これを知っていればボールを「分ける」ことができます。

 今「分ける」と言いましたが、この漢字は「分かる」は同じ漢字です。つまり、「分けることができる」ことは「分かったこと」だと、みなさんにお伝えしたいのです。

 学校の現代文の授業で、先生に「分かったか?」と問われた時、皆さんは「分かった」と答えられますか?  数学の授業で解き方を教わり、「なるほどこう解くのか、分かったぞ」という時の「納得した《分かった》」と同じ《分かった》を現代文で答えられますか?

 今日のお話が「なるほど」と思えた方は、これからは「本文を分解」できたら「分かった」と答えていいのだと、自分を納得させてください。

 もちろん《分かった》だけで高得点にすぐつながるとは言えませんが、心の持ち方・本文に臨む構え方ができていることは受験生にとってとても大切なことだと気づいてほしいのです。

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