第4回「木を見て森を見ず」と「評論読解法」の共通点

こんにちは。「aiの入試現代文読解応援団」です。今回は「評論読解」の考え方についてお話しします。

 「木を見て森を見ず」ということばがありますね。「小さいことに心を奪われ、全体が見通せない」ということを例えたものです。

 この解釈では、「木を見ること=小さい点・細部・細かいところにこだわりすぎる」欠点とし、「森=全体」が大切な点と、警告しているわけです。

 しかし、「入試評論文読解」では、この解釈を少し変えて教訓とすることができます。

 もちろん、「文章全体(森)が見える」ことは大切なことですが、「なんとなく(意識しないで)全体を読んだ」のでは、森を見ているようで、実は「森は見えていない」のです。

 これに対して、「一つ一つの言葉の文中での役割を意識しながら読む」ことは、例えば「絵画」の中のどの部分にどの色をなぜ使ったのか」とか考えながら見ているのと同じですが、これは「木を見ている」と言えます。

 実は、「一つ一つの言葉=木」の役割(違い)を意識して読むことで、「文章全体=筆者の考え=森」を把握することができるのです。

 このように、評論読解においては、「木も見て森を見ず」=「木を見ることにこだわり、森をなんとなく見てはいけない」と解釈してほしいのです。いかがでしょうか?